第一創業期
静岡資源の創業者、森明彦は憧れのあったヨーロッパ各国へ半年間の放浪の旅へ出かけ、ヨーロッパ先進諸国での環境意識の高さを目のあたりにしてカルチャーショックを受けます。
日本でも、今後必ず環境意識が高まっていくと確信した森は帰国後、環境の仕事を立ち上げることを決心します。
帰国後、持っていた乗用車(マツダルーチェ)とISUZU製2tトラックを交換してちり紙交換を創業します。創業3日目運転中、松下電工の駐車場にゴミの山を発見します。中身はダンボール、鉄、非鉄、プラスチックとほとんどが資源であることに気づきます。
『静岡の資源を有効活用させる!』という強い思い入れから屋号を定め、1977年10月『静岡資源』を創業、松下電工を皮切りにナショナル家電、東芝家電、シャープなどの家電販社のゴミ処理を開始・資源回収に方向転換します。
この頃、研究開発専門の組合を立ち上げ様々なリサイクルプラントを開発します。また、新商品・新開発のヒントを探し求めて日本全国を飛び回りました。この姿勢は現在でも会社の文化として根付き変わらずにあります。自動車のオイルフィルター自動資源化装置、冷蔵庫のコンプレッサー自動資源化装置、塩化ビニール資源化装置、車載型ペットボトル減容器またガラスタイルの開発で(財)クリーンジャパンセンター再資源化アイディアコンクールに選出され、通商産業大臣賞を受賞しました。
第二創業期
この頃、ダイオキシン問題など『環境』への注目が集まり始めます。当時社員数は12名程でしたが800坪の土地を購入して工場を建設します。『これからは産廃をリサイクルしていかなければならない!』という思いから、『ゴミ屋』から『リサイクル企業』へと舵を切り、有限会社静岡資源から株式会社静岡資源へと登記を変更します。
1996年年には先進的な環境活動への取り組みを評価され県知事褒状をいただきました。
ISOマネジメント講義を受講した森は、環境に携わる企業のCSR(社会的責任)に強く注目し、汚染物質を出さない、自ら『自分で自分を律する』という考えをもちます。また文章化して記録化する大切さを感じ、同業者ではいち早く率先してISO14001取得の挑戦を決心しました。その一年半後、静岡県下同業者内で2番目のスピードでISO14001を取得します。
2001年2億円をかけ破砕選別ラインを設置します。建設リサイクル法施行に伴い2003年から硬質プラスチックプレス機、瓶・缶ラインを続けて導入します。この間、自社開発においてはブラウン管自動切断機、ハードディスク破壊装置の開発に成功しています。
第三創業期
2005年5月森勝久が代表取締役に就任します。同時に森明彦は会長職となり世代交代を図りました。静岡資源が創業から歩んできた本流をはずすことなく事業の拡大を図り『家業』 から『企業』への変革をすべく社内体制の転換に着手します。
現在、静岡資源では今後、ますます強まっていくであろう『環境』への注目をひしひしと感じ、『循環型社会』形成の一翼を担う企業として『リサイクル率の限界に挑戦します。』をスローガンに社内設備を整え、全社一丸となっての挑戦を続けています。